2011年6月27日月曜日

国民生活白書“不在”の弊害

 白書の刊行ラッシュの季節がやってきた。子ども・若者白書、高齢社会白書、土地白書、防災白書などが今月になって相次いで発表されている。1年間の政治、経済、外交、社会の実像を描き、政府の施策などを国民に示すことを目的とする白書。その中で、2008年版を最後に休刊しているのが内閣府の国民生活白書だ。
 国民生活白書は、その名の通り国民の生活に焦点を当てて日本の経済社会を分析する。経済財政白書が金融・財政のマクロの視点を担うのに対して国民生活白書は生活者、消費者というミクロの行動、意識からアプローチする。少子社会(92年)、安全・安心(96年)、若年フリーター(03年)などを取り上げ、その時代を切り取って解説することに定評がある。
 東日本大震災で、日本社会の風景が大きく変わった。今年の国民生活白書があれば、どんなニッポンを見せてくれるだろうか。
 ライフスタイルが変わり、家族や地域との絆が強まった。寄付やボランティア活動についての分析があっていいだろう。4月の家計調査では寄付金が前年同月比で約9倍も増える一方、世帯主のこづかいや国内旅行の支出が削られている。被災地の商品を積極的に購入するといった「応援消費」の影響か、流通業界では東日本の販売実績が堅調な半面、被災地よりも遠い西日本が低調という「消費の東高西低」現象がある。
 復興構想でも議論に上がっている増税について「国民の意識調査をして議論の土台を提示すべきだ」(日本総研の山田久主席研究員)という声もある。
 国民生活白書の担当大臣として4度も序文を書き記した竹中平蔵慶大教授は「(白書がないことで)国民生活の正確な実像や意識が分からないために政策議論も情緒的になり、誤った方向に進みやすくなっている」と手厳しい。
 「国民の生活が第一。」と銘打って政権交代を果たした民主党。その政権が国民生活を知ることに消極的なのはどういうことか。民の竈(かまど)の煙こそ、節目を迎えている日本社会を知る手段のはずだ。

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