「専門知識習得」上位 「課題解決力」は中位
学士の能力 共通性必要
串本剛・東北大学講師らが全国の大学の学科長に学科の教育目標を聞いたところ、専門教育重視で、社会の要望とずれが大きいことが分かった。
本来、教育とは意図を伴った働きかけである。ところが大学教育においては、その目的が教育者と学習者の双方に意識され、共有されることはほとんどなかった。
無論、日本の大学の75%以上を占める私立大学は例外なく建学の精神を有するし、国公立大学も教育研究上の目的が存在することを前提に大学に関する法令は定められてきた。しかしその「精神」や「目的」は、実態として大学の構成員に理解されているものではなく、行動の指針となるほど具体的でもない。
目標を明文化
こうした状況は、1990年代から断続的に続く大学改革の中でも問題視されてきた。大学で学ぶことによって身に付く能力は、学生や社会に明示されるべきだからだ。受験生が大学を選ぶ際の重要な情報の一つになるし、社会の側からみれば、卒業生に期待できることを知ると同時に、大学教育が税金による支援に値するものかどうかを判断する材料になる。
これを受け近年では、学部・学科・課程ごとに、教育研究上の目的を学則などに定め公表することを求めた大学設置基準の改正(2007年)や、学位授与の方針(ディプロマ・ポリシー)の明示を推奨した中央教育審議会答申(05、08年)に促され、大学は「大学教育の目標」とみなされるものを明文化し公表している。
では、その内容はいかなるものなのか。私たちは、日本私立大学協会付置私学高等教育研究所のプロジェクト(代表・浜名篤関西国際大学教授)の一環として、全国の大学の学科長2千人を対象にアンケートを実施し、733人の回答を得た。表は、学科が明文化している教育・学習目標について、私たちが用意した11項目のどれに当てはまるかを、複数回答で選んでもらった結果である。
7割以上の学科長が選択した項目は3つあったが、すべて専門教育に関するものだった。また専門的職業人に関する2項目の選択率は5割弱だったが、すべての専門分野が専門職に直結してはいないことを考えると、必ずしも低い値ではない。
他方で、学生の専攻にかかわらず、共通に意識されることが多いと思われる項目(*印の項目)の選択率は低い。特に、対人的能力や認知的能力に比べ、人文学的知識や幅広い教養など、昔の一般教育課程で期待されていた学習成果はあまり重要視されていない。
この結果は、2つの点で注目される。第1に、産業界が大学教育に要求する内容と大学側の意識の間には依然として食い違いがある。
例えば経団連が今年初めに公表したアンケート結果では、企業が大学教育に期待する上位3項目(複数回答)は、「論理的思考力や問題解決能力を身につける」(76・5%)、「チームを組んで特定の課題に取り組む経験」(45・5%)、「専門分野の知識を身につける」(43・8%)だった。
同一項目による調査ではないので厳密な比較はできないが、専門分野の学習成果よりも、汎用性のある対人的・認知的能力を期待している点で、学科長調査の結果とは対照的である。
国際化も背景
第2に、学科長が考える教育・学習目標には、専門分野を超えた共通性が希薄である。大学進学率が50%を超え、学生の国際的な流動性が高まる中で、大学卒としての学士の能力には、これまで以上に一定の標準性が求められている。
この標準性には、専門分野ごとに想定されるものもあるだろう。日本学術会議が検討している「分野別参照基準」はその一例だ。だが、それとはまた別に、大学を出た者に対して、専門分野を問わず国際的にも共通して期待されるような知識・能力があるはずだ。
しかし今回の調査を見る限り、少なくとも学科長のレベルでは、この点に関する明確な配慮はみられない。学科長は教員が持ち回りで短期間務めるという日本の慣例を考慮すると、これは一般教員の共通認識といってもよいかもしれない。
これら2点については、共に“役割分担”という発想が反映したものとみることもできる。日本の学部教育(学士課程)は基本的に、学生の専攻にかかわりなく施される共通教育と専門教育から構成される。学科長の関心が後者の専門教育のみにあるものと解釈すれば、表に示したような結果はむしろ合理的な傾向を示したことになる。
だが、新入生の大半が所属する学科を決めた上で入学してくる現実を考えると、学科の教育・学習目標に共通教育の役割を位置づけることは不可欠である。なぜなら学生の立場からすれば、学士課程とは共通教育と専門教育という分断された2つの教育からなるものではなく、一貫性のある4(または6)年間であるべきだからだ。
しかも、経団連調査などで明らかなように、社会が学士課程教育に求めているのが専門分野に特有の知識や能力だけではない以上、“役割分担”の是非を含め、早急な検討が迫られていることは確かである。
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